【男子バレー】前代未聞のメディアミックス『ミュンヘンへの道』誕生秘話 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • アフロ●写真

 では、と『サインはV』のスポンサーであった不二家に乗り込んだ。当時の不二家の社長は、奇しくも松平の慶應大学の同窓生であった。もっとも、顔を合わせたのはその時が初めて。松平は社長を全日本男子の試合に招待した。丁度その頃、不二家はハイティーン向けのチョコレートを売り出そうとしていた。試合を見に来ると、観客のほとんどはハイティーン。そして松平の絶妙なトークで意気投合した社長はぽんとスポンサードを引き受けてくれて、番組が始まったのである。

 実名を挙げ、実話を元に構成されたアニメドキュメンタリーに出演した当の選手たちはどう思っていたのだろうか。木村憲治(ミュンヘン五輪金メダリストでBクイックの創始者)は「悪い気持ちはしなかったのは事実ですが、気持ちの中にはテレビで創られるものは虚像であるとの考えがあり、自分自身を戒める気持ちが他方に存在していました」と語る。

 大古誠司は「恥ずかしかったね」。ただ、アニメが人気を博し、松平が必ず全日本の練習をファンに公開していたため、ファンが体育館に詰めかけ、「ワンプレイ、ワンプレイに絶対に手を抜けなくなった」とも言う。

 そして森田淳悟は「やはりこれだけ人気が出てきたからには、気持ちに応えたいという思いは大きくなりましたよ」と振り返る。「大古がワンプレイにも手が抜けなくなったと言ってた? それはファンの存在はもちろんだけど、その前に手なんか抜いたら松平さんの鉄拳が飛んできたからね(笑)」
(続く)

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