【F1】チーム代表交代。不振のフェラーリが反撃開始!

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 中国GP金曜の夕方、どんよりとした曇り空に気温13度という異例の寒さの中、上海サーキットのパドック庭園にあるフェラーリのホスピタリティスイートには、人が溢れ返っていた。その輪の中心にいたのは、マルコ・マティアッチ。わずか4日前にフェラーリのチーム代表に就任したばかりの人物だ。

フェラーリのチーム代表に就任したマルコ・マティアッチphoto by Ferrariフェラーリのチーム代表に就任したマルコ・マティアッチphoto by Ferrari「金曜日の早朝5時58分にルカ・ディ・モンテゼーモロ会長から電話があり、3時間後のニューヨーク発ミラノ行きのチケットを用意してあると言われた。最初は『エイプリルフールの冗談にしては半月遅いですよ』と言ったんだが、次第にそれが本気であることが分かったよ」

 フェラーリ・ノースアメリカのCEOを務めていた彼は、すぐにニューヨークの自宅を発って、フェラーリの本拠地であるイタリアのマラネロへ飛んだ。そして土曜日からチームスタッフとミーティングを重ね、代表職を離れることになったステファノ・ドメニカリとも2日間にわたってみっちりと話し合った。

 わずか1週間足らずのうちに彼は北米とヨーロッパを往復し、そこからアジアへと慌ただしく飛び回って上海での中国GPにやって来た。

 金曜にサーキットへ合流したマティアッチは、彼を追いかけ回すカメラから逃れるように、曇り空にもかかわらずサングラスをかけていた。それについて聞かれると、彼は笑ってこう答えた。

「ハハハ、良い質問だね。しかし4日間で40時間飛行機に乗り、ほとんど寝ていないような状態では、サングラスが必要だよ(笑)」

 それほど急だったフェラーリのチーム代表交代劇であり、一説にはバーレーンGPを訪れて、その惨状を目の当たりにしたモンテゼーモロ会長がしびれを切らしたとも言われている。だからこそ、1990年代までのフェラーリにつきものだった"お家騒動"再来かと世界中のメディアが色めき立ったのだ。

 さらに今回の新代表の人選が、メディアが騒ぐ一因になった。1999年のフェラーリ入社以来、マティアッチは一貫してマーケティング畑を歩んできた人物だ。2007年にはフェラーリのアジア・パシフィック部門立ち上げの責任者となり、フェラーリ・ジャパン設立にも深く関わった人物でもある。そして、フェラーリF1チームの代表に、レース部門と縁のなかった人物が起用されるのは異例のことだ。実際、彼のレース経験不足を指摘する声もあるが、マティアッチはこう反論する。

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