イチローの22年。「次の1本への執念」は変わらない

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo
  • photo by Getty Images

メモリアルヒットで綴るイチロー1992-2013(後編)

【2003年5月16日@コメリカ・パーク】

 試合後の囲み取材でイチローは最後まで仏頂面だった。チームは快勝し、自らはこの日2本目のヒットとなるライト線二塁打でメジャー通算500本目を刻んでいた。詳細な資料が現存せず、354試合目での到達は史上最速かどうか確認できないままだったが、それが記録的なスピードで達成されたのは間違いない。それでも彼は、「ひと区切りの数字ではないです。特に(感想は)ない」とまるで取りつくシマがない。素っ気ない主役と呆気にとられたような報道陣のコントラスト。消化不良ムードのまま短いインタビューは終了した。

今季、打率.262に終わったイチローは、最終戦終了後に「もう1ラウンド、162試合やりたい」と悔しさをにじませた。今季、打率.262に終わったイチローは、最終戦終了後に「もう1ラウンド、162試合やりたい」と悔しさをにじませた。

 最後まで固い表情には理由があった。「いつでも難しいことに変わりがない」はずの1安打の価値が軽んじられている。釈然としない気持ちが、彼を頑(かたく)なさにさせていた。

 この前年、1994年のオリックス時代から続いていた連続首位打者が「8」で途切れた。直後のシーズンオフ、イチローは某大手全国紙のインタビューで「なぜ首位打者を獲れなかったのか?」というニュアンスの質問を受けていた。2002年の208安打はア・リーグ最多に1本足りない2位、27敬遠はリーグ最多だった。リーグMVPを獲得した2001年に30個だった四球数は68に倍増。新人からの連続200安打以上はメジャー史上7人目だったが、周囲はなぜトップに立てなかったかにフォーカスした。少なくとも彼は、当時の日本国内の反応をマイナスなものとして受け取り、敏感に反応した。

 称賛が欲しかったのではない。すべての人が「なぜ首位打者を獲れなかったのか」と問うているのではないことも分かっていた。しかし苛立ちとも戸惑いともつかない思いが募り、本音となってあふれ出たのではないか。囲み取材の数時間前、デトロイト郊外で遅い昼食をともにしたときのことだ。いつものチーズピザとコーラを前にイチローは珍しく強い口調になった。

「去年208本打って『何でもっと打てなかったの』と思われているのに、なぜ今度は500本に意味を求めようとするのですか。そこに矛盾はないですか。みんなが思っているように僕も思えばいいんですか」

 オリックス時代の中盤以降、数字を積み重ねるたびに周囲は驚かなくなっていった。2000年オフ、ポスティング制度でのメジャー挑戦は、当時の日本にまん延していた「イチローなら何をやっても驚かない」というマンネリ感を断ち切りたい思いもあったはずだ。だが海を渡った後も、その空気は彼を追いかけてきた。メジャー通算500安打は、新天地アメリカでも日本時代と同じ状況が訪れたことを思い知る節目だったのかもしれない。試合後会見でのつれない態度は彼なりのささやかな抵抗だったのだろう。

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