猪木vsアリ、「世紀の一戦」への過激なる前哨戦

  • text by Sportiva

 38年の時を超え、今また注目を集めているアントニオ猪木vsモハメド・アリの「世紀の一戦」。1976年6月26日に日本武道館で行なわれたが、試合に至るまでの両者の舌戦や熾烈な駆け引きもすごかった。緊迫の前哨戦の一部を紹介する。

「世紀の一戦」のリングに立つ猪木。まさに前哨戦から「真剣勝負」だった photo by burning stuff「世紀の一戦」のリングに立つ猪木。まさに前哨戦から「真剣勝負」だった photo by burning stuff すべての発端は1975年春、アメリカでのパーティーの席上だった。日本レスリング協会会長の八田一朗(故人)がモハメド・アリと同席し、アリは八田にこう言った。「俺にチャレンジしてくる勇気のある日本人はいないのか?」――帰国後、八田はこの談話をマスコミに紹介。これに飛びついたのがアントニオ猪木だったのだ。

 同年6月、アリがマレーシアでの防衛戦に向かう途中で日本に立ち寄った際、猪木の代理人が挑戦状を手渡す。アリは「猪木って誰だ?」と驚いていたが、「次の防衛戦の相手は猪木だ。一発でKOしてやる」と衝撃発言。これはアリ一流のリップサービスで、ほとんどのマスコミは真剣に受け取らなかったが、猪木と新日本プロレスは粘り強く交渉を続け、76年3月25日、ニューヨークのプラザホテルにおいてついに正式調印に至った。

 紋付袴をまとい登壇した猪木の腕にアリは絡みつくと、お得意の「口撃」をスタート。
「俺がリングに上がったら、そこでおまえは機能停止だ!」
「俺はお前をペリカンと名付ける!」
「今度の試合は世界中の人が観る。世界の全ての国の人々だぞ! それだけじゃない、おまえが対戦するのは恐れを知らない男だぞ!」

 微笑を浮かべ、アリの挑発を聞き流していた猪木だが、突然立ち上がると応戦。
「頼むからリングの上ではそういうジョークは辞めてくれ」
「俺のアゴは尖っていて強いんだ」

 アリは上半身裸になり、力こぶを見せつけながら挑発を続ける。
「猪木はたいして大きくない。なんでも(どんな技でも)使ってくれ」

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