【ボクシング】西岡利晃「ドネア戦後、選択肢は『引退』しかなかった」 (2ページ目)
ノニト・ドネアとの攻防を身振り手振りで事細かに説明する西岡利晃――序盤、ドネアのパンチで視界が不明瞭だったそうですが?
西岡 言い訳ではまったくなく、2ラウンドに右目にパンチをもらい、ドネアがずっと「ふたり」に見えていました。初めてのことだったんで、「どうしよう?」とは思いましたね。ただ、それはもう、パンチをもらう僕が悪いんで......。6~7ラウンドで目が普通に見えるようになりました。ポイントを取られているのも分かっていましたから、「行くぞ」と思いました。
――そして、9ラウンドを迎えました。
西岡 気持ちが前へ前へと行っていました。守る意識はなかったんで、(ドネアの)左フックのみを気にして、自分の左手は守ることより、むしろ(パンチを)当てることに100%意識を集中していました。
――9ラウンド1分54秒、右ストレートでダウンを喫し、セコンドからタオルが投げられました。トレーナーに抱えられた一瞬、笑ったようにも見えましたが?
西岡 なんて言ったらいいんだろう......。ドネア戦は1年間待ち続けて、ようやく決まった試合。すべてをかけて、やれることはすべてやった。その試合が終わった瞬間です。「今、ここですべてが終わった」。そんな意識から出た表情かもしれないですね。
――敗北をすぐに受け入れることはできましたか?
西岡 僕自身はあのダウンで、「よし、チャンスだ」と思っていました。ずっとドネアが足を使っていて、僕が追いかける形。ダウンを奪われたので、(ドネアが)出てくるのは分かりきっている。だから、『行くぞ。勝負だ!』と思ったタイミングで、ストップされた......。コーナーに背中を向ける位置にいたので、何が起こったのか分からなかったんです。「なぜ止めるんだ」と。ただ、レフェリーが手を振ったら終わり。だからその瞬間、僕がどう言おうが、試合は終わったんです。ドネアが強かった。それだけですね。
――最初に浮かんだ感情は?
西岡 「悔しい」です。
――そして引退を決めたのは、どのタイミングでしょう?
西岡 試合から1週間後です。会長とマネージャーに「引退します」と伝えました。正直、もう1回(ドネアと)やりたかったです。それ以外は興味なかったんで。ただ、即再戦は受けてくれないだろうし、結局決まらない。だったら意味がない。別のベルトが欲しくてやっているんじゃない、最強の称号を求めていたんで......。また、今回以上の状態を作れるかって自分自身に聞いたら、覚悟がいります。だから、ドネア戦以外はムリなんです。となると、選択肢は「引退」しかない。
――試合から1ヵ月後に開かれた引退会見では、どんな心境でしたか?
西岡 スッキリでした。ラファエル・マルケス戦(2011年10月1日)で、日本人として初めてラスベガスで防衛した。それで引退でも良かったんです。実際、引退も考えました。でも、軽量級の『パウンド・フォー・パウンド』――、ドネアが同じ階級にいる。心の声を聞くと、「やりたい」って言うんですよね。その気持ちにウソをついて、引退はできない。ラスベガスで防衛してチャンピオンのまま引退したほうが、世間的にはいいのかもしれない。ただ、そんなものは俺にとってどうでもいい話なんですよ。ドネアとやりたい。ドネアに勝ちたい。自分の心にウソをつきたくなかったんです。
2 / 3