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【競馬】パカパカファーム物語。
アイルランドの獣医師は、なぜ日本行きを決めたのか (3ページ目)

  • 河合力●文 text&photo by Kawai Chikara

 また、当時のアイルランドの景気がひどく低迷していたこともスウィーニィ氏の決断に影響を与えた。「獣医学校の同級生の70%は、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの海外に移住し働いていた」とのことで、海外に移住し働くことについては、それほど抵抗がなかったという。

「確かにリスクは感じましたが、大樹ファームの先進的なプランや自分の人生を考えたときに、とても魅力的なチャレンジだと感じたんです。ほとんどゼロから日本で牧場を作っていく、その過程を見てみたいと。もちろん知り合いは皆、驚きましたが、それでも行くことに決めました。妻も、当時それほど長く日本に滞在するとは思っていなかったので、旅行気分でOKしてくれました」

 こうしてスウィーニィ氏は、1990年、妻とふたりで来日する。しかし、来日するまで、北海道がどんな場所なのかは「まったく知らなかった」という。

「妻と地図を見たら、イタリアのローマと北海道はほとんど緯度が同じ。ローマに旅行したときは冬も寒くなかったので、北海道もローマみたいに暮らしやすい場所だと思っていました。アジアと言えば、香港やシンガポールに行ったこともありましたから、きっと似たような雰囲気なのだ、と……」

 だがもちろん、スウィーニィ氏のイメージと実際の北海道はまったく違った。さらにスウィーニィ氏は、獣医師としてだけでなく大樹ファームの場長としても勤務することになる。当時を振り返って、「日本語もまったく話せなかった1年目は本当に大変でした」と語るスウィーニィ氏。そのような状況の中で、彼は日本とヨーロッパにおけるさまざまな違いにも直面したという。

 そこには一体どんな苦労があり、またそれをどう乗り越えたのか。次回は、スウィーニィ氏が来日してからの奮闘の日々に迫っていく。

(つづく)

  ハリー・スウィーニィ
1961年、アイルランド生まれ。獣医師としてヨーロッパの牧場や厩舎で働くと、1990年に来日。『大樹ファーム』の場長を務める。その後、2001年に『パカパカファーム』を設立。2012年には生産馬のディープブリランテが日本ダービーを制した。

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