【育将・今西和男】毎年ドイツに渡り、「プロ」風間八宏を口説いた

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

『育将・今西和男』 連載第12回
門徒たちが語る師の教え 川崎フロンターレ監督 風間八宏(1)

クラブハウスで選手時代を振り返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督クラブハウスで選手時代を振り返ってくれた川崎フロンターレ、風間八宏監督
 1994年1stステージでのサンフレッチェの戴冠を語るとき、今西はマツダ時代からこつこつと築いてきたチームの育成・強化の結実を勝因として挙げる。その中で「あれの獲得が特に大きな転機だった」と振り返る人材が「風間八宏」である。

 清水商業在学中に同世代に類を見ない突出したタレントとして、マラドーナがMVPに輝いた1979年のワールドユース日本大会に出場した風間のところには、すでに高校卒業時に実業団、大学を問わず、ほとんどの主要チームが勧誘に来ていた。風間が学校から帰宅すると、母親が営んでいる磯料理の店のカウンターにはずらりとスカウトが並んで、飲みながら待っていた。

 母は女手ひとつで長男の自分を筆頭に3人の息子を育ててくれていた。風間には4歳年上の姉がいたが、彼が1歳のときに白血病で亡くなっていた。母がそんな悲しみの中で、自分たち兄弟を養ってくれているのを知っていた。だからこそ、早く楽をさせてあげたい。「俺は進学はないな」と考えていた。

 進路を決めなければならなくなったある日、清水商業高校監督の大滝雅良に体育館の教官室に呼ばれた。「おい、結局お前はどこに行きたいんだ」。関東大学1部リーグの名門校をはじめとして10校を超える大学が入学の勧誘に来ていた。受ければ受かる。私学であれば「○○大学に行きたい」と言った瞬間に進学が決まってしまう。一計を案じた。

「はい、東大ですね。もしくは慶応の医学部です」

 とたんに大滝のパンチが飛んで来た。

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