協会幹部が激白「W杯イヤーに強化試合ができなかったワケ」 (2ページ目)
――ところが、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアでは、周囲がスペインやオランダと対戦するときと同じような感覚では見てくれません。
原 それで(チームも)勝たなければいけない、という気持ちのほうが強くなってしまった部分はあるでしょうね。
――それは、前回の南アフリカ大会(2010年)におけるベスト16という成績をベースにしてしまったことが問題だったのではないでしょうか。あの結果は、たまたまだったと思うんですが、それが日本の実力と勘違いしていたように思います。グループリーグ突破を当たり前のように考えてしまいましたよね。加えて、W杯イヤーに対戦したニュージーランド(4-2)とキプロス(1-0)は弱小国で自分たちの力を推し量れませんでした。結果、2013年11月の欧州遠征で、オランダ(2-2)、ベルギー(3-2)相手に善戦した成功体験を悪い意味で引きずったまま、ブラジルに旅立ちました。日本はチャレンジャーという自分たちの立ち位置というものを見失っていたように思います。
原 もちろん我々は、コートジボワールは個のポテンシャルが高いし、ギリシャは粘り強く、しぶとい。そして、コロンビアは南米の中では最も嫌な相手と分析していました。しかしそうした現実的な評価とは裏腹に、メディアやファンの期待はすごく高まっていました。それに合わせて、我々や現場スタッフにも、「上に行けるかも」「勝てるかも」という気持ちが、どこかに生まれてしまったのかもしれません。技術委員会としては、現場スタッフや選手のスタンスとは違って、そこはもう少し冷静に、物事に対処しなければいけなかったと思います。
――結局、グループリーグ突破という目標が達成できませんでした。それが、「日本には力がなかった」という評価につながるわけですね。
原 ひと言で言えば、ですね。力があれば、突破していたはずですから。とはいえ、「力がなかった」というのも、いろいろな要素が絡み合ってのものです。例えば、選手のコンディションの問題がありました。海外組では、MF長谷部誠(当時ニュルンベルク→現在フランクフルト/ドイツ)、DF内田篤人(シャルケ/ドイツ)、DF吉田麻也(サウサンプトン/イングランド)の3人が、長い間戦列を離れていました。本田圭佑(ミラン/イタリア)と香川真司(当時マンチェスター・ユナイテッド/イングランド→現在ドルトムント/ドイツ)は、ビッグクラブに所属していたがゆえに出場機会を失っていました。そして、岡崎慎司(マインツ/ドイツ)や長友佑都(インテル/イタリア)らは、シーズンをフルに戦った疲れが残っていました。そんなふうに海外組だけで3つのパターンがあって、さらに国内組の選手は、W杯開催による過密スケジュールの中、アジアチャンピオンズリーグ(以下、ACL)をこなすなど、ハードな日程を消化していました。それらすべての選手を同じようなコンディションに整えるのは、非常に難しいことでした。
今の時代、代表中心にスケジュールは組めない
――過去の4大会に比べて、W杯イヤーにおける本番までの試合数が少なかったことも問題だったように思います(2014年=4試合。2010年=9試合※若手メンバーで挑んだアジアカップ予選vsイエメンは除く。2006年=9試合、2002年=8試合、1998年=10試合)。
原 それは、仕方がないことです。(4年前のように)アジアカップ予選も入っておらず、以前とは状況が違って、国際Aマッチデーの日数が減っていますから。
――もちろん、それは承知しています。
原 では、この日程でこれ以上、試合数を増やすのは不可能なのがわかりますよね? 他の国がもっといっぱい試合をしているというのならわかりますけど、そういう状況でもありません。
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