「ドーハの悲劇」イラク戦で出場できなかった北澤豪の本音 (2ページ目)
無料会員限定記事
最終戦のイラク戦の選手交代については、当時を知る人間たちの間でよく語られる話題のひとつだ。
その時代、フィールド選手の交代枠はふたりだった(現在はGKを含めて3人)。日本を率いるハンス・オフト監督(オランダ出身)は後半59分、右のサイドアタッカーを長谷川健太(清水エスパルス/現ガンバ大阪監督)から福田正博(浦和レッズ/現解説者)に代えた。そして81分には、FW中山に代えてFW武田修宏(ヴェルディ川崎/現解説者)を投入した。その采配に、多くの人間が"疑問"を感じた。
前の試合、つまり4戦目の宿敵・韓国戦の勝利(1-0)に貢献した、北澤豪(ヴェルディ/現解説者)を使わなかったからだ。北澤は、出場停止のMF森保一(サンフレッチェ広島/現サンフレッチェ監督)の代役ながら、フィールドを縦横無尽に走り回って日本の窮地を救った。おかげで、日本は再び希望を手にすることができた。それほどの立役者を、イラク戦の1点を守り切るという苦しい状況の中で、なぜ起用しなかったのか。
のちに、主将を務めていたDF柱谷哲二(ヴェルディ/現水戸ホーリーホック監督)はこう証言している。
「試合時間が残り20分を切った頃、もうDFラインは上げられない状態だった。ヘディングも、ジャンプもできない。誰もが疲れ切って、気持ちだけでプレイしていた。なかでも、中盤はきつかった。スペースが埋まらない。だから、『北澤を入れてくれ』と思っていた。ピッチにいる僕らは(運動量のある)北澤が欲しかった」
森保と2ボランチを組んでいたMF吉田光範(ジュビロ/現解説者)も同じ気持ちだった。
「もう、中盤(の選手)は動けなくなっていました。それまでサッカーをやってきて『助けてくれ』なんて思ったことは一度もなかった。でも、あのときは『キーちゃん(北澤)、助けてくれ』『キーちゃんを入れてくれ』と思っていました」
全文記事を読むには
こちらの記事は、無料会員限定記事です。記事全文を読むには、無料会員登録より「集英社ID」にご登録ください。登録は無料です。
無料会員についての詳細はこちら