【Jリーグ】2012年、グランパスのサッカーは崩壊していた

  • 小崎仁久●文 text by Kosaki Yoshihisa
  • 渡辺航滋●撮影 photo by Watanabe Koji

チーム事情により、昨季はFWで先発出場する試合も多かった闘莉王。チーム事情により、昨季はFWで先発出場する試合も多かった闘莉王。2013年Jリーグ「王座奪還」
名古屋グランパス編(1)

 2010年シーズンはリーグチャンピオンに輝き、2011年シーズンは優勝した柏レイソルに勝ち点1差の2位。2012年シーズンも当然頂点を争うチームと目されていた名古屋グランパスだったが、終盤まで優勝戦線にしがみついてはいたものの、結局7位という不本意な成績に終わった。チームの核である闘莉王は、「大事な試合でことごとく負けてしまった」と嘆いた。

 順位がそこまで沈んだ最大の要因は、得点力の低下だ。2011年の総得点は、67点(リーグ2位タイ)だったが、2012年は、46点(リーグ12位)。21点も減った。組織的で連動性のあるコンビネーション、アップテンポなパス交換、流動的なポジションチェンジは影を潜め、決定機は明らかに減少していた。

 不運だったのは、故障などにより、攻撃陣の離脱が相次いだことだ。中盤の要となるMF中村直志は、5月に怪我をするとそのまま戦線に戻ってくることはなかった。2011年に14ゴールを挙げたFW玉田圭司も、古傷の影響で思うようにコンディションが上がらず、5得点を記録するのが精一杯だった。

 そして何より、2011年の得点王(19点)ケネディが、腰痛のためにフルシーズン働けなかったのが痛かった。ケネディは得点源としてだけでなく、名古屋のポゼッションサッカーの起点だったからだ。彼が前線の中央でボールをキープすることで、スピードのあるサイドアタッカーが生き、中盤やサイドバックがさらに押し上げることができた。名古屋の看板でもある、破壊力のあるサイド攻撃が実現できたのは、まさにケネディのおかげだった。

 そんな"大黒柱"の不在を、FW永井謙佑やMF田口奏士ら若い力で補おうにも限界があった。そこで、戦術的な変更も考えられたが、ストイコビッチ監督は悩んだ末、スタイルを変えることなく、DFの闘莉王をケネディの代替役に据えた。

 闘莉王は、永井(10得点)に次ぐチーム内2位の9得点を挙げ、確かにその期待に応えた。しかし、一見成功したように思えるその配置転換は、名古屋らしさをすっかり消してしまった。チームに悪循環をもたらしたと言っても過言ではない。

1 / 2

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る