【なでしこ】取材歴18年。女性フォトグラファーが振り返る日本女子サッカーの歴史

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko photo by Hayakusa Noriko/JMPA

2002年から愛称が「なでしこジャパン」となった女子サッカー日本代表チーム。ロンドン五輪では銀メダルを獲得した。五輪初出場は1996年のアトランタ大会だった2002年から愛称が「なでしこジャパン」となった女子サッカー日本代表チーム。ロンドン五輪では銀メダルを獲得した。五輪初出場は1996年のアトランタ大会だった
 私が初めて女子サッカーを撮影したのは1990年代半ばのこと。Lリーグ(日本女子サッカーリーグ)ではまだ外国人選手が華やかな活躍を見せていた頃だった。

 しかし、バブル崩壊後の余波が数年遅れで日本女子サッカー界にも波及した。各メディアも、カメラマンとライターを派遣してまで女子サッカーを取り上げる余裕がなくなった。それまで必死にシャッターを切っていた私は、女子サッカーに関しては望むと望まざるとに関わらず、ペンを握ることになった。

 他に取材するメディアがいた頃は、見て学ぶこともできた。けれど、じきに取材に訪れるメディアは誰もいなくなり、すべてをひとりで乗り越えなくてはならなくなった。心細いなんてもんじゃない。しかも手ぶらではない。海外へ行くときも、どんなときでも私には大量の機材がついてくる。機材を守りながら、ひとりきりで海外へ足を運ぶ。何が起きても頼れるのは自分しかいない、ピッチでどんなことが起きようとも確認する相手もいないという状況は恐怖に近いものがあった。

 しかし、試合結果の公式記録すら出ないような大会でも、選手たちだけは確実に答えを知っている。試合後、そそくさと選手たちの元へ通う日々が続いた。答え合わせというよりも、もはや答えを教えてもらいに行っているようなもの。時間はかかったが、私なりの読み取り方が身についたのは、そんな選手たちの協力の賜物だと、今でも感謝している。

 18年......。いろんなことを積み重ねて、ようやくここまで成長させてもらった。華やかな時代から誰の目にも止まらない暗闇の時代......。日本女子代表--なでしこジャパン--は、何度もがけっぷちから這い上がり、アジアをすっ飛ばして、世界の頂点にも立った。

 ドイツでのW杯優勝の直後には、時代の寵児となったなでしこたち。注目されることは苦しみを伴うものだった。それでも前に進むことをやめなかった。その先に一体何があるのか。私はどうしてもそれが見てみたくなった。

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