アルゼンチン代表の悪行をFIFAも批判。その「攻撃的な振る舞い」こそ強さの源泉でもある (2ページ目)
【敗北を許さないアルゼンチンの気質】
大会最優秀GKに選ばれたエミリアーノ・マルティネスは、最も物議を醸した選手だろう。フランスとのPK戦でも執拗に相手キッカーを挑発し、その悪質ぶりにイエローカードを受けている。駆け引きは日常茶飯事だが、実に不愉快な光景だった。
極めつけは表彰式だ。トロフィーを股間に当て、愚弄するポーズを取っている。フランスのキリアン・エムバペが南米サッカーを見下す発言をしたことへの返答だったらしいが、発言で返答する場はいくらでもあった。確信犯で「エムバペの死を悼む、黙とう」とも嘲っているのだ。
非難されているW杯表彰式でのエミリアーノ・マルティネスのポーズこの記事に関連する写真を見る アルゼンチン人選手の独善的振る舞いは、メッシという聖人によって正当化された。過去にW杯を制覇した時も、マリオ・ケンペス、ディエゴ・マラドーナの英雄的プレーで栄光に浴したが、チームとしてはダーティーで悪名高かった。逆説的に言えば、その風土を生き抜いてスーパースターが生まれるのか。
その「不愉快さ」にこそ、彼らの優勝の理由はあるのだろう。
「マリーシア」
ずる賢さという言葉は日本サッカー界にも定着したが、アルゼンチン人選手が実践しているのは、そんなレベルではない。厚かましさの極致。圧倒的に身勝手で、自分たちこそが揺るぎない正義であり、そのメンタリティが選手だけでなく、国民隅々にまで浸透している。それ故、揺るぎない自信でピッチに立てるのだ。
「敗北を許さない」
その感覚だろうが、説明が必要だろう。
筆者はかつてパブロ・アイマール(今回のアルゼンチン代表コーチで、現役時代はファンタジスタとして有名だった)やメッシにインタビューしたことがある。ふたりはどちらも、「失敗を糧にする」という欧米的、日本的な道徳観をベースに質問をした時、呆気にとられるような答えを返してきた。
「負けから何を学ぶの? 勝利からしか、学ぶことはできない」
その思考展開が、なりふり構わない勝利至上主義につながるのだ。敗者には意見などさせない。勝者のみが口を開けるのだ。
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