【フランス】ドメネク前監督が暴露したフランス代表の内幕 (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 ジダンは退場処分になることが多かったと、ドメネクは書いている。この決勝の前までにレッドカードをもらったことが13回あったという。さらにドメネクは、ジダンの自己破滅的な頭突きについて興味深い見方をしている。あたかもジダンは「自らの栄光に復讐するかのようだった。彼が自らの成功を奇跡ととらえているだけでなく、耐えられないものと感じているかのようだった」。おそらくこの文章には、何か意味があるのだろう。

 ジダンの頭突きによって、フランスの栄光の時代は終わった。僕はパリに住んでいて、この大会後の4年間にスタッド・ド・フランスで多くの寒い夜を過ごしたが、ドメネクのフランス代表はうんざりするほど悲惨なフットボールをしていた。たいていの場合、ドメネクは選手を責めた。

 2006年にジダンとその仲間たちが代表を去ると、入れ替わりに入ってきたのは、初めての契約ですぐに大金持ちになった最初の世代だった。フットボールは90年代に変貌を遂げていた。巨額のテレビ放映権料が流れ込み、「ボスマン判決」によって選手は以前より自由に移籍ができるようになった。1970年ごろに10代だったドメネクがリヨンのトップチームに入ったとき、月収は900フランだった。これは彼の父親が工場で働いて手にする額と変わらなかった。35年後にカリム・ベンゼマが10代でリヨンに入ったときの月収は25万ユーロ(当時のレートで約3400万円)だったと、ドメネクは書いている。

 新世代の選手たちの感覚はまるで違った。午後はだらだら眠り、それから朝までずっとおしゃべりをする。彼らは「友情を非常に大切にしたが、ちょっと何か言われたり陰口をたたかれたりすると、すぐに仲が悪くなった」と、ドメネクは書いている。そして彼らは、上の人間に敬意を払うということを知らなかった。

 最初からドメネクは、多くの選手を下に見ていたようだ。「この坊やたちが何を考えているのか、いつもよくわからない」と、彼は書いている。2010年のワールドカップのときの日記を読み返した彼は、「自分の中に抑えきれない憎しみがふつふつとわき起こる」のを感じた。

 ドメネクの選手の描き方は驚くほど率直だ。いずれも世界的に尊敬を集める選手たちで、イングランドのクラブの中心選手も多いのだが、ドネメクの評価は散々だ。アネルカについてだけでも、彼の精神状態を分析する伝記のような文章を書いている。他の選手への評価を少しだけ見てみると──。

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