オッツェは若き日本人を次々と見つける敏腕スカウト 獲得したかったのは「インテリジェンスのある遠藤航」 (4ページ目)

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko

【オッツェが獲得してみたかった日本人選手は?】

 また、ブレーメンのスカウトとして19年間働いているオッツェは、最近のドイツ代表の惨状を嘆いている。

「1990年代は、ドイツが日本に負けるなんて考えられなかった。でも、僕が思うにドイツは今、向上心や野心のある選手があまりいないように感じます。サッカー以外のことに気を取られすぎです。

 昔と違って、現代社会は多くのゲームやコンピューターにあふれており、手もとには携帯電話もある。バイエルンやライプツィヒの選手は16歳〜17歳でもかなりの金額をもらっているので、それに満足してしまう。そういうこともドイツ代表の弱体化につながっていると思います」

 日本には、かつて自分たちにあって今はないものがあるという。

「ユース代表の試合を見に行くと、勝つか負けるかはともかく、日本人選手は一生懸命に走るし、ピッチでファイトしているんですよね。今のドイツには、それがないです。今年の欧州選手権もドイツ開催ですけど、勝つのは簡単ではないだろうなと思います」

 余談にはなるが、ベテランスカウトとして獲得してみたかった日本人選手を聞いてみると、最近の選手の名前を挙げた。

「遠藤航ですね。サッカー理解力が高く、インテリジェンスがある。彼は決してツヴァイカンプフ(1対1/遠藤はブンデスリーガで2シーズン連続1位の勝率を誇った)だけではないんです。知的だからこそ、今のキャリアがある。リバプールでの活躍は必然だったと思いますよ」

 取材の最後に、オッツェに「日本のみなさんに、ひと言を」とお願いした。

「僕のことをまだ知っているファンはいるのかな? 僕は当時、とてもすばらしい時間を日本で過ごさせてもらいました。日本のサッカーはとても発展したと思っています。そしてこの発展は、まだ終わらないと思っています」

<了>

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【profile】
フランク・オルデネビッツ(オッツェ)
1965年3月25日生まれ、ドイツ・ドルフマルク出身。ブレーメン時代は奥寺康彦と一緒にプレーし、1987-88シーズンにはブンデスリーガ制覇に貢献した。1993年のセカンドステージよりジェフユナイテッド市原に加入し、1994シーズンは30ゴールを記録して得点王を獲得。翌年は家庭の事情でドイツに戻るも、1996年には旧JFLのブランメル仙台でもプレーして20ゴールをマークする。西ドイツ代表として2試合出場。ポジション=FW。身長180cm。

プロフィール

  • 了戒美子

    了戒美子 (りょうかい・よしこ)

    1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。

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