07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • 松岡健三郎/アフロ●写真 photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO

 そもそもTUEは提出が必要な大きな大会とそうでないものがあり、トップアスリートにのみ必要とされるものであったが、これが2008年2月になるとDC委員会は日本サッカー協会に登録していたアマチュアの男女、小学生からシニアに至るすべてのサッカー選手にも提出を義務付けた。

「(日本サッカー協会に加盟する)いかなる選手も、治療上の理由から医師に受診して治療または投薬を受ける場合には、当該処方が『禁止物質』または『禁止方法』を含むか否かを尋ねるものとする」(JFAドーピング禁止規定第6章第61条)。

 約100万人の登録者の内、いったい何人がこんな規程を知っていただろうか。サッカーに関心のない小児科医ならばいきなり「DC委員会にTUEを出せ」と言われても理解できないであろう。

 たとえば、喘息の子どもはステロイド治療をするし、ケガをして手術をした子どもも点滴治療をする。しかし、TUEを出さずに治療した医師はドーピング幇助の罪に問われて永久追放になってしまうのである。医師の治療がDC委員会からのTUEの回答を待つことで、後手に回り手遅れになる可能性が全登録選手に対して出てきた。これはさすがに4月に廃止されたが、この2カ月の間、ケガや病気で普通に治療を受けていた小さなサッカー選手たちは自分も知らない間にドーピング違反者にされていたのである。

 仁賀ドクターからの手紙を読んだ我那覇の決意は固かった。自らリリースを書き、関係者に配布した。

「ギリギリまで悩みましたが、自分は違反をしていないんじゃないかという気持ちを持っていたことや、たとえ自分により大きな処分が下るリスクがあっても、今回の仲裁の場を通じて、本当に自分がドーピング違反を犯したのかどうかが明らかになって欲しい気持ちを持っていたことを、今言わないと一生後悔すると思い話しました。 川崎フロンターレ 我那覇和樹」

後編はこちら>>


『争うは本意ならねど』

一通の手紙が、我那覇のもとに届いた……。
彼は、なぜ立ち上がったのか?
冤罪事件の事実が、いま明かされる!
詳細はこちら>>













ヒデと福西の言い合いが象徴する混乱。 「ジーコは何も言わなかった」

◆小野伸二が天才でなくなった日。 「あのケガで、僕はすべてを失った」

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る