【Jリーグ】来季も前途多難。ガンバ大阪はなぜJ2降格してしまったのか (2ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

 10年間ガンバの指揮を執ってきた西野監督が昨季で退団。今季からセホーン監督&呂比須ワグナーコーチという新体制になったことが、チームのリズムをおかしくしたのは間違いない。ずっと培ってきたサッカーに、何かしら上積みするようなスタイルが築ければ良かったのだろうが、指揮官が変わったことで、サッカー自体が変わってしまったのが問題だった。

「違う監督になれば、考え方も変わる。それに対して、自分たちがうまく順応できなかった」
 チームの核である遠藤保仁はそう言って自らを責めたが、これまでパス主体のサッカーをしていた選手たちが、主に外国人2トップに頼ったカウンターサッカーにすぐに馴染めるはずはなかった。結果、リーグ開幕3連敗という最悪のスタートを切ってしまった。

 その後、すかさずセホーン監督&呂比須コーチを解任。ガンバ生え抜きの松波正信コーチが後任監督に就いてチームの建て直しを図ったが、"負の遺産"はなかなか解消できなかった。遠藤が語る。
「前半戦で勝ち点を稼げなかったのはもちろんこと、その悪い流れを早い段階で自分たちのリズムに持っていけなかったのが、後々まで響いた。最初からもっとガンバらしいサッカーを見せられれば、こういう(J2降格という)結果にはなっていなかったと思います」

 その要因のひとつに挙げられるのは、体力的な問題だろう。
「監督が代わって、今季は開幕前のキャンプでもあまりフィジカルトレーニングをやってこなかったと聞いている。そこで楽をしたツケが、春先はもちろん、その後の結果にも表われたのかもしれない」と名波氏が分析するとおり、今季のガンバは終盤に息切れすることが多かった。65失点のうち、およそ3割におよぶ21失点を後半75分以降に喫した。そのため、勝てる試合を引き分けたり、ドローにできたゲームを取りこぼしたりしたのだ。

 遠藤もその点は、最悪の事態を招いたポイントだったと語る。
「点の取られ方に問題があって、とにかく引き分けが多過ぎた。そこを勝ち切るようなゲームが昨年まではできていたけれども、今年はできなかった。その差が、最後に出てしまった」

 実際、1シーズン制となった2005年以降、引き分け11試合はクラブ最多。過去7シーズンの引き分けの数は平均7.28試合だっただけに、単純にその3~4試合分が勝ち星に変わっていれば、違った結果になっていただろう。

 とはいえ、「もう終わったことをどうこう言っても取り返せない」と遠藤が言うとおり、今さら結果は変わらない。ガンバにとって問題なのはこれから。クラブ初のJ2をどう乗り切って、1年でJ1に返り咲くかだ。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る