谷口彰悟がプロの誘いを断り、筑波大に進学した理由「自信がなかった。自分の将来に保険をかけていた」 (3ページ目)

  • text by Harada Daisuke

 当時の自分の考えを、今、振り返ると、少しだけ自分がかわいらしく見えてくる。でも、当時は、素直にそう考えていた。

 ただし、それすら今思うと、言い訳でしかなく、純粋に自分を律する自信がなかっただけだった。

 また当時、ほかにも考えた理由はあった。

 Jリーグは、高卒ルーキーがいきなり試合に出場するのが難しい世界であることは理解していた。ましてや声をかけてくれたのは、J1リーグで優勝争いをするようになっていたフロンターレである。

 ただでさえ、高卒ルーキーが出場機会を得るのが難しい環境や状況のなか、フロンターレで1、2年も出番を得ることができなければ、ほかのチームに移籍する選択をせざるを得なくなることも想像した。

 ならば、大学に進学して、1、2年生のうちから公式戦を戦い、試合経験を積んだほうが、自分のキャリアにとっては有益なのではないか。また、サッカー選手になれなかった時のことを考えると、大学で教員免許をはじめ、将来に活かせる勉強をしておくことも、自分のためになると考えた。

 要するに、自分の将来に保険をかけていた、保険をかけようとしていたことになる。

 同時に、大学で4年間を過ごし、プロから声がかからなければ、自分はそこまでの選手だったとして納得できる。今考えると、4年という時間は貴重であり、長いが、自分なりに大学でがんばって、プロから再び声をかけてもらえる「本物のサッカー選手」になろうと決意した。

 親が、プロではなく、大学に進学してほしいと明言することはなかったが、自分が考えたようなリスクや可能性については話してくれた。そのうえで、筑波大学への進学を決断したのは自分だが、今思い返すと、自信のなさだったように思う。

 高校を卒業してすぐにプロとしてやれる自信が、自分にあったのであれば、迷いなく飛び込んでいただろう。

 それは大学4年間で成長し、自信を持ってプロサッカー選手としてフロンターレに足を踏み入れた2014年当時の自分を思い返すと、なおさら実感する。

 当時の僕は、その自信を得るために、筑波大学に進学した。

◆第15回につづく>>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。

プロフィール

  • 原田大輔

    原田大輔 (はらだ・だいすけ)

    スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。

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