オシムから日本へ愛のムチ。「なぜチームのためにプレーしなかった?」

  • ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic  利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 アジアカップ決勝で日本が敗れた。勝敗が決まった時、私は少なからず憤慨していた。そして試合から日が経つにつれ、悲しさと、日本の戦い方を残念に思う気持ちが、私の心を覆うようになっていった。日本サッカーを愛する者なら当然だろう。

 決勝のカードを知った時、私は日本が有利であると考えた。大勢の意見もそうであったろうし、もしかしたら選手たちも――意識はしないにせよ――そう思ったのではないだろうか? 

 だが、こうした考えは非常に危険だ。相手がどんなチームであれ、軽んじてしまえば、自分たちの首を絞めることになる。それがサッカーの掟だ。ただ、日本人は真面目で、何事にも全力を尽くし、ベストな結果を出すために入念な用意をする。だからこうした心配は杞憂だと思っていた。

 ところが......決勝戦を前にピッチに降り立った日本を見て、このチームはアジアカップ決勝という重要な一戦への準備が万全ではないと私は感じた。彼らは、最初の1分から全力で走ってはいなかった。車で言えば、ギアは"ロー"のままの発進だった。このことを見過ごすことはできない。日本は魂のないままピッチに降りた。そしてまるで親善試合のようなプレーを始めた。

期待されたものの、決勝ではノーゴールに終わった堂安律 photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA期待されたものの、決勝ではノーゴールに終わった堂安律 photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA 私はかつて監督としてベンチに座っていた時、いや、現在のようにテレビで試合を観戦する時も、チームが試合に向けてどのようなアプローチをするのかを注視する。試合前にどんなウォームアップをするか。それを観察することで、そのチームがどのように試合を始めるかが見えてくる。私は決勝前の森保ジャパンを観察し、すぐに傍らにいた妻のアシマに言った。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る