ルーキー岩村明憲に「ユニフォームを脱げ」。ヤクルト二軍監督の八重樫幸雄が告げた理由

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【高卒当時から抜群の完成度だった岩村明憲】

――さて今回からは、かつて背番号1を背負い、メジャーリーガーとしても活躍した岩村明憲さんについて伺いたいと思います。岩村さんは、野村克也監督時代の1996(平成8)年ドラフト2位での入団でした。当時、八重樫さんはすでに指導者となっていましたね。

八重樫 岩村のプロ入りと同時に僕は二軍監督になったんだけど、二軍監督1年目が岩村、2年目が(五十嵐)亮太でしたね。岩村も、亮太も、今でもすごく思い出深い選手です。当時のヤクルトは「高卒選手は、2年間は体力強化に励む」という方針だったんです。でも、岩村に関しては特例で、1年目から徹底的にファームの試合で起用しました。

3年目からヤクルトのレギュラーに定着した岩村明憲3年目からヤクルトのレギュラーに定着した岩村明憲この記事に関連する写真を見る――記録を見ると、二軍では全100試合中70試合に出場して、297打数81安打、打率.316、10本塁打、38打点、10盗塁となっています。特例を作ってまで岩村さんの起用にこだわった理由は何ですか?

八重樫 もちろん、勝手にルールを破ったわけではなくて、「岩村の場合は、実戦でどんどん結果を積ませたほうがいい」と判断してフロントに直訴しました。それが認められたんです。というのも、自主トレ期間中に彼を見ていて、「すごい完成度だな」と思ったからなんですよ。

――どういう点に、完成度の高さを感じたのですか?

八重樫 「ペッパー」という打撃練習がありますよね。それをやった時に抜群のバットコントロールだったんです。ヘッドの使い方が実に上手だった。まず、その点に惚れ惚れしました。さらに、とにかく足が速くて体も丈夫だった。守備には難がありましたが、そこは目をつぶって試合で実戦経験を積ませつつ、当時の大橋(穣)作戦守備コーチに頼んで、特守を徹底することにしたんです。

――そういう経緯で常時、二軍の試合に出場しつつ、並行して守備練習を徹底的に行なったというわけなんですね。

八重樫 戸田で試合がある時は、試合後に必ず1時間は特守をしました。でも、彼も負けん気が強いから、上手にできない自分にイライラするんです。はたから見ていてわかるほど、ふくれっ面で不満そうな顔をする。それが数日続いたんですよね。それで、3日目ぐらいに、彼を直接呼んで話をしました。

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