【特別対談】原泰久「やはり目標は一番上」 千賀滉大「サイヤング賞を獲ることを目指した行動に移しています」 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 市川光治(光スタジオ)●編集協力

 僕はナックルみたいに無回転で投げるのかと思っていました。

千賀 そのイメージはすごく大事だと思います。

 縫い目は関係ありますか?

千賀 縫い目を使わないと投げられないですね。人差し指をかけるようにして握ります。

 それも言っていいんですか?

千賀 全然。どんどんこのボールを投げる選手が増えてほしい。で、親指はボールの下に置きます。

 写真撮っておこう。今度アシスタントとキャッチボールをする時のために。

千賀 あと浅く握ります。フォークボールって深く挟んで投げるにはめちゃくちゃ握力が必要なんです。僕は握力がそんなにないので。そして思いっきり腕を振る。この投げ方だと想像しているより結構腕を振らないとボールが落ちてくれないんです。

 直伝のゴーストフォーク、今度投げてみますね。

── では2024年、お互いに期待することを。

 去年以上の成績は期待していますし、日本人初のサイヤング賞も......と言いたいところですが、あまり言うとプレッシャーになりますよね。

千賀 いえ全然。僕自身は、サイヤング賞を獲ることを目指した行動に移しているので。

 やはり目標は一番上。

千賀 もちろんです。

── 逆に千賀投手は『キングダム』のこれからにどんな期待を?

千賀 まず原先生がずっと健康でいてもらわないと。それが一番。あとは羌瘣(きょうかい)と信のこれからの感じがどうなるのか楽しみですね。

 それはちょっと期待しておいてください(笑)。


千賀滉大(せんが・こうだい)/1993年1月30日生まれ。愛知県出身。蒲郡高から2010年育成ドラフト4位でソフトバンクに入団。12年に支配下登録され、13年にリリーフとして頭角を現す。16年は先発として12勝をマーク。19年にはノーヒット・ノーランを達成し、20年にはエースとして投手三冠を達成。22年オフに海外FA権を行使し、ニューヨーク・メッツに移籍。1年目から29試合に登板し、12勝(9敗)を挙げる活躍を見せた。

原泰久(はら・やすひさ)/1975年6月9日生まれ。佐賀県出身。大学院卒業後、システムエンジニアとして就職するも、漫画家になる夢をあきらめきれず勤務先を退社。2003年に『週刊ヤングジャンプ』(集英社)主催のMANGAグランプリにて奨励賞を受賞。06年『キングダム』連載開始。13年に第17回手塚治虫文化賞にてマンガ大賞を受賞。23年、『キングダム』の累計発行部数が1億部を突破。好きなプロ野球チームは福岡ソフトバンクホークス。

撮影協力●ヒルトン福岡シーホーク

プロフィール

  • 田尻耕太郎

    田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)

    1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。

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