常廣羽也斗&下村海翔を超える潜在能力 青学大2年・鈴木泰成は「2年後のドラフト1位」を目指し進化中 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 明治神宮大会の1アウトを含め、公式戦でたった4イニングしか投げていない投手のコメントとしては大仰に聞こえるかもしれない。それでも、これまで鈴木が歩んできた道のりを思えば、紛れもない本音だったはずだ。

【4年後にドラフト1位でプロに行く】

 鈴木は東海大菅生に在学した高校時代から、知る人ぞ知る存在だった。2年春のセンバツではエースの本田峻也(現・亜細亜大)が故障したため、緊急登板してベスト8進出に貢献。球速は140キロ前後であっても、投手としての資質の高さは疑いようもなかった。

 当時、東海大菅生の若林弘泰監督に鈴木の将来性について聞くと、こんな言葉が返ってきた。

「非常にポテンシャルが高くて、将来は本当に日本を代表するピッチャーになってくれるかなと感じるくらいです」

 辛口で知られる若林監督がここまで選手を絶賛するのは珍しい。鈴木自身も「日本を代表する投手になりたい」と、堂々と宣言していた。本人の真摯な取り組みもあって、大器はすくすくと育っていた。

 だが、好事魔多し。2年夏を前に鈴木は右ヒジを痛め、冬場には肘頭をチタン製のボルトで固定する手術を受ける。3年夏の西東京大会には復帰したものの、そのマウンド姿は本来の鈴木とはほど遠かった。

 最速148キロと球速は出ているものの、打者を圧倒するような球威がない。1学年下の日當直喜(楽天ドラフト3位)の力も借りて西東京大会決勝まで勝ち進んだものの、決勝戦では日大三に逆転負けを喫した。

 当時、自分の力をどれくらい発揮できていると思うか尋ねると、鈴木は「半分にも満たないと思います」と答えている。それでも、鈴木は「日本を代表する投手になる」という大命題を取り下げることはなかった。

「そこはブレたことはありません。思うようにいかなかったですけど、頑張ってやっていけば絶対にどこかでよくなるとわかっていたので。1回目指したものは、達成するまであきらめずに追い続けようと決めていました」

「4年後にドラフト1位でプロに行く」という目標を胸に秘め、鈴木は青山学院大に進学する。幸運だったのは、常廣や下村のような生きた手本がいたことだ。

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