智辯和歌山・伊藤大稀が中学時代に起こした奇跡。野球部をつくった仲間たちへの想い

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 強打の高松商打線を8回まで1失点に抑えてきたエース・中西聖輝が最終回にエラー絡みで2点を失うと、智辯和歌山ベンチは思い切った投手交代を見せた。2番手に告げられたのは背番号18の伊藤大稀。甲子園初マウンドとなる伊藤は高松商の代打・大坪太陽をわずか1球でショートゴロに打ち取り、智辯和歌山を勝利に導いた。

 伊藤は和歌山大会決勝戦でも、"サプライズ登板"で好投している。中西に代わり先発の大役を任され、ドラフト上位候補の市和歌山・小園健太と投手戦を展開。7回に先頭打者の出塁を許すまでは、無失点に抑えた。

高松商戦で2番手としてマウンドにあがった智辯和歌山・伊藤大稀高松商戦で2番手としてマウンドにあがった智辯和歌山・伊藤大稀この記事に関連する写真を見る 身長184センチ、体重87キロのたくましい肉体から放たれる快速球は、140キロ台をコンスタントにマークする。この夏は着実に結果を残し、複数の好投手を育成して戦う中谷仁監督の信頼を勝ちとった。

 そんな伊藤は、中学時代にまるで漫画のようなドラマチックな体験をしている。仲間とつくった野球部で、中学3年時には全国大会出場を果たしているのだ。

 伊藤が進学したかつらぎ町立笠田中は、野球部が休部状態だった。伊藤を含め笠田小出身の野球経験者が「少年野球の仲間と一緒に野球をやりたい」と希望し、保護者が学校にかけ合った。学校側が出した条件は「部員10人を集めれば野球部の復活を認める」というものだった。笠田中は1学年60名程度の小規模な中学校だけに、容易な数字ではなかった。

 それでも、笠田小の野球経験者6名、同じ学区の渋田小から5名、野球未経験者1名が集まり、笠田中の野球部は復活した(のちに1名が途中入部)。オール1年生の布陣で参加した春季大会はユニホームが間に合わず、特例として真っ白な練習着で大会に出場。コールド負けを喫している。

 じつは、笠田小の少年野球チームは全国大会に出場した実績があった。それでも、笠田中の木村陽介監督は「飛び抜けて力のある選手はいませんでした」と語っている。伊藤にしても「小学生の頃はファーストがメインで、ピッチャーはときどきやる程度でした」と、とりわけ目立つ存在ではなかった。

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