【プロ野球】日本人最初の「1億円プレイヤー」は誰?

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva

ひと駅コラム「それ、気になってました」(2)

 選手の契約交渉の行方が連日話題を集めているプロ野球界。先日は、「二刀流」大谷翔平(日本ハムファイターズ)がプロ2年目を終えて、来季年俸が大台の1億円を突破したことが大きなニュースとなった。高卒3年目の年俸が1億円に達したのは、2000年オフの松坂大輔(当時西武ライオンズ。来季よりソフトバンクホークス入り)以来、史上ふたり目のことだ。

「1億円プレイヤー」と言えば、ひと昔前までは「一流選手の証」と見られていた。それが今や、日本のプロ野球界でも多くの選手が年俸1億円超え。2014年には、読売ジャイアンツ阿部慎之助の6億円(推定、以下同)を筆頭に、セ・リーグ(32人)、パ・リーグ(30人)合わせて62人の選手が1億円を超える年俸だったという。大谷を含めて、2015年はその数がさらに増えていくことだろう。

 そういう意味では、やはりプロ野球選手というのは、夢がある"商売"であるが、日本人選手初の「1億円プレイヤー」という"夢"が実現したのはいつのことか。

 およそ30年前の話である。現在中日ドラゴンズのGMを務める落合博満氏が、ロッテオリオンズに在籍していた現役時代、1986年に2年連続3度目の三冠王を獲得。そのオフ、1対4という驚愕のトレードで中日への移籍が決まったとき、落合氏の年俸がついに大台を突破した(1億3000万円)。

 振り返れば、ロッテに入団して3年目(1981年)に首位打者となった落合氏の年俸は、そのオフに540万円から1600万円にアップ。そして4年目(1982年)、史上4人目の三冠王に輝いて、5400万円まで年俸は上がった。その後は、首位打者を獲ってもほぼ現状維持という状態が続いて、7年目(1985年)に2度目の三冠王を獲得し、5940万円の年俸がやっと9700万円まで上がった。

 それが10年後、オリックスブルーウェーブに入団して3年目(1994年)にシーズン210安打を放ったイチローは、800万円の年俸が一気に8000万円までアップ。翌年も首位打者を獲得すると、あっさり大台超えの年俸1億6000万円に達した。以降、毎年首位打者となって、2億6000万円、4億3000万円......と年俸は上昇。落合氏もあと10年遅く生まれていたら、入団4年目、最初の三冠王獲得で十分に1億円超えがかなっていたのではないだろうか。

 ちなみに、投手で初めて「1億円プレイヤー」になったのは、当時西武に在籍していた東尾修氏(現解説者)。落合氏と同じ、1986年のオフだった。最近では、解説者の野村克也氏がテレビ番組で「本当は私が、日本人初の1億円プレイヤー」と語っているが、真偽のほどは定かではない......。

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