思い出はPL学園戦。「ベストゲームではないけどな」

  • 柳川悠二●取材・文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by Nikkan sports

横浜高校の名参謀・小倉清一郎の人生(2)
(前回の記事)
 
 40年以上の指導者人生で最も思い出に残る試合は――その問いに小倉清一郎は、98年夏の準々決勝、対PL学園高校戦をあげた。延長17回250球を松坂大輔が投げ抜き、9-7でからくも制した試合である。この試合に出場した両校の選手だけで実に8人がプロの世界へ飛び込んでおり、春夏連覇した怪物・松坂大輔を、あるいは松坂世代を語るうえで欠かすことのできない試合だ。

今年、横浜高校のコーチを退任した小倉清一郎コーチ(右)。最後の試合を終えて、戦友・渡辺監督と握手今年、横浜高校のコーチを退任した小倉清一郎コーチ(右)。最後の試合を終えて、戦友・渡辺監督と握手「杉内俊哉(鹿児島実業、現巨人)や和田毅(浜田、現カブス)、久保康友(関大一、現DeNA)......名前をあげればきりがありませんが、これほど全国的にレベルの高かった大会は後にも先にもない。98年の横浜が最近の大会に出場したら楽勝ですよ。98年春にも3−2で勝っていたPL相手の試合は、いろんな出来事があったから印象深いよね」

 まず、横浜バッテリーの癖が盗まれていた。松坂ではない。捕手の小山良男(亜細亜大〜中日〜現中日ブルペン捕手)の癖だ。小山は松坂の変化球を受ける際、気づかぬうちに腰を浮かせていた。PLの3塁コーチャーは、小山が腰を沈めて構えると「行け行け行け!」と叫んで狙い球をストレートに絞らせ、腰を浮かせていたら「狙え狙え狙え!」と変化球の指示を送っていた(現在は、打者にベンチやベースコーチから指示を送ることは原則禁止されている)。PL打線は2回にそれまで25イニング連続無失点を記録していた松坂から3点を奪い、主導権を握る。

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