死後15年。今も野球界に色濃く残る「根本陸夫の遺産」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Nikkan sports

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根本陸夫伝~証言で綴る「球界の革命児」の真実
プロローグ

94年オフ、王貞治をダイエーの監督に招聘したのが根本陸夫だった。94年オフ、王貞治をダイエーの監督に招聘したのが根本陸夫だった。

 今から15年前の1999年4月30日、ひとりの男がこの世を去った。根本陸夫――野球界に様々な革命を起こした男だ。彼の死から15年経ったが、根本が残してきた功績は消えるどころか、色褪せることなく今も生き続いている。

 沢村栄治とベーブ・ルースが対戦した、1934年11月の日米野球。そのときの「日本代表」メンバーを主体として誕生した大日本東京野球倶楽部が、のちに巨人軍となった。

 現在のNPBに連なるプロ球団第1号。その誕生から80年の歳月が経った。ゆえに今年は「プロ野球80周年」と称されているわけだが、それだけの長い歴史が紡がれてゆくなかには、いくつかの「革命」が起きている。

 昨年、2013年の日本プロ野球、パシフィック・リーグのペナントレース最終盤。東北楽天が球団初の優勝を決めた一方、埼玉西武、千葉ロッテ、福岡ソフトバンクの3球団が、クライマックス・シリーズ(CS)進出に向けて熾烈を極める戦いを繰り広げた。

 最終的に、3位のロッテに勝率8厘差をつけて西武が2位、ソフトバンクは4位に終わったが、各監督には共通項がある。渡辺久信、伊東勤、秋山幸二の3人は、1980年代から90年代にかけて黄金期を築いた西武の主力メンバーだったことだ。

 この事実は、かつて巨人のV9時代にプレイした野球人が、巨人以外の球団に監督として招聘されたケースを想起させる。ヤクルト、西武を初の日本一に導いた広岡達朗をはじめ、それこそ西武黄金期にチームを率いた森祇晶、オリックスの土井正三、ヤクルトの高田繁、さらには王貞治もダイエー、ソフトバンクの監督を務めている。

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