ありがとうジョーブ博士。日本球界にもたらした351勝の功績

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by AP/AFLO

 フランク・ジョーブ博士が3月6日(現地時間)の早朝、カリフォルニア州サンタモニカで永眠された。88歳だった。ジョーブ博士は1974年に当時、成功の確率が5%未満と言われていた「肘の靭帯再建手術」を行なった。手術を受けたのは、ドジャースの左腕、トミー・ジョン。同投手は1年間のリハビリを経て、1976年にメジャー復帰すると、この年10勝を挙げてカムバック賞を獲得。その後も46歳で引退するまで164勝(通算288勝)をマークした。この手術は選手の名を取って「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになり、数多くの選手たちを救ってきた。そして、日本プロ野球界にも大きな影響をもたらした。

これまで多くの野球選手を救ってきたジョーブ博士。これまで多くの野球選手を救ってきたジョーブ博士。

 村田兆治(ロッテ)は1982年に右肘を故障。様々な治療に取り組む傍(かたわ)ら、座禅や滝に打たれる荒行まで行なったが、肘の状態は一向に回復せず、翌年、ジョーブ博士の手術を受けることを決断した。当時、肘にメスを入れることはタブーとされていた時代。村田にとってもトミー・ジョン手術は最後の頼みの綱だった。

 手術後、過酷なリハビリに耐えた村田は、1984年のシーズン終盤に復活。本格復帰となった1985年は開幕11連勝を挙げるなど、17勝5敗の成績を収め、カムバック賞に輝いた。1989年には通算200勝を達成し、最優秀防御率のタイトルも獲得した。1990年で現役を引退したが、復帰後の成績は59勝50敗2セーブ。村田の復活により「トミー・ジョン手術」は、日本球界でも有効な治療法として認知されるようになった。

 荒木大輔(ヤクルト)がジョーブ博士の手術を受けたのは1988年8月。これも国内で満足な治療が受けられないことが大きな理由だった。荒木はリハビリを急いだことで再手術を余儀なくされたが、1992年9月24日、ケガから1541日ぶりに一軍のマウンドに立った。翌1993年は先発として8勝(4敗)を挙げ、日本シリーズでは初戦の先発を任され勝利投手になるなど、チームの日本一に貢献。プロ通算は39勝だったが、そのうち11勝はケガから復帰して挙げたものだった。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る