松井裕樹だけでなく......。甲子園で輝いた「背番号1」のプライド

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

フルスイング観戦道 vol.22

 背番号「1」。

 高校野球では、1番を背負うということには特別な意味がある。背番号1はエースとして、チームを支え、引っ張らなければならないからだ。

2013年の夏、県大会からひとりで投げ抜いた鳴門高校のエース・板東湧梧2013年の夏、県大会からひとりで投げ抜いた鳴門高校のエース・板東湧梧

 2013年のドラフト会議でイーグルスから1位指名を受け、入団を決めた桐光学園の松井裕樹は、プロでも1番を背負うことになった。松井はその理由をこう説明した。

「自分の野球の原点は桐光にあると思っているので、そこで長くつけさせてもらった番号でスタートしたいと思いました」

 高校野球ではエースナンバーでも、プロ野球での1番にはエースナンバーのイメージはない。

 その昔、早実のエースとして春の甲子園を制し、ジャイアンツへ入団した王貞治は背番号1をつけていた。しかし王はプロ入り後、ピッチャーとしては一度もマ ウンドに立たないまま野手に転向、やがて世界のホームランキングにまで上り詰める。松井がなぜか「背番号1の印象は王さん」と、生まれる前に引退した王の 名前を入団会見で挙げていたが、王はプロの世界ではエースではない。プロで背番号1のエースといえば、バファローズのサウスポー、通算317勝をマークした鈴木啓示をおいて他にはいない。ドラフト制以降、ドラフト1位で指名された高卒のピッチャーが背番号1をつけるのは松井で3人目。1981年にプロ1年 目で背番号1をつけたロッテの愛甲猛は未勝利のまま野手転向、2007年のロッテ、大嶺祐太はプロ3年間で7勝を挙げたものの、4年目から背番号11に変更するなど、あまりいい結果は残せていない。

 それでも松井は、プロの世界でエースナンバーを背負う。

 背番号1と言われて真っ先に思い出すのは、15年前の夏に見た光景だ。

 あの夏、いちばん遠くから背番号1を見ていた。甲子園球場の外野席、最上段まで上ってようやくたどり着いたスコアボードのすぐ脇の席からでは、背番号1は紙吹雪のかけらくらいにしか見えなかった。それでも、彼の背中は誰よりも光を放っていた。

 甲子園最強のエース、松坂大輔。

 最後に勝ち残る一校を除く、すべてのチームが一度だけ負けていく、夏のトーナメント。約4000校の球児が虎視眈々と狙い続けてきたのが、遥か彼方のマウンドに立つ、あの背番号1だった。にもかかわらず、最後の一球を投げ終えるまで、松坂の背番号1は真っ白のまま、一度として地にまみれることはなかった。松坂の背番号1がひときわ白く見えた、灼熱の甲子園──。

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