【プロ野球】古田、稲葉、宮本――
名球会3人を輩出した90年代ヤクルトの遺伝子

  • 阿部珠樹●文 text by Abe Tamaki
  • 岩本直哉●写真 photo by Iwamoto Naoya

宮本と稲葉は同期入団で、2000本安打を達成したもの同じ1976試合目だった宮本と稲葉は同期入団で、2000本安打を達成したもの同じ1976試合目だった 5月4日の試合でヤクルトの宮本慎也が史上40人目の2000本安打を達成した。『守備の名手』として誰もが認める宮本の偉業達成はさまざまな点で画期的だったが、もうひとつ驚くべきことがある。

 それは今回の宮本の達成によりヤクルトでキャリアをスタートした選手の2000本安打は、若松勉、古田敦也、稲葉篤紀と合わせて4人になったわけだが、そのうち古田、宮本、稲葉の3人が同時期に同じチームでプレイしていたということだ。つまり、3人もの2000本安打達成者を輩出した当時のヤクルトのすごさをあらためて証明することになった。

 万年Bクラスだったヤクルトが劇的な変貌を遂げたのは、1990年に野村克也氏が監督に就任してから。データ重視の『ID野球』を打ち出し、92年に14年ぶりのリーグ優勝を果たすと、翌93年にはリーグ連覇と日本一を達成した。

 当時の主力野手メンバーは、通算304本塁打の池山隆寛と通算306本塁打の広沢克己の"イケトラコンビ"に、センターで鉄壁の守備を誇った飯田哲也、勝負強い打撃が光ったジャック・ハウエル、そしてID野球のキーマン・古田らたちだ。

 そして94年オフに広沢、ハウエルが巨人に移籍すると、入れ替わるようにその年のドラフトで宮本と稲葉が指名され入団する。ルーキーイヤーの95年、宮本は主に守備固めとして出場し、稲葉はシーズン中盤からレギュラーを獲得するなど、ともに1年目から活躍して日本一に貢献。そして2年目からは、ともにレギュラーとして出場するようになり、97年、01年にも日本一を果たした。

 宮本は少し前にあるラジオのインタビューで面白いことを言っていた。

「僕が2000本安打を打てたとしたら、それは古田さんのおかげ」

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