【プロ野球】『守備の人』が2000本安打。宮本慎也を支えた打撃理論と母の教え (2ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 岩本直哉●写真 photo by Iwamoto Naoya

 また、ヤクルト入団後も野村克也監督からは当初、「打てない。守るだけ」という意を込めて『自衛隊』と称された。水物である打撃よりまず計算の立つ安定した守備力を選手に求めた知将にすれば、皮肉とはいえ最大級の褒め言葉だった。だが、そんな野村氏も次第に野球センスに恵まれた宮本に打力も求めるようになっていく。愛弟子である古田敦也同様に、頻繁に宮本を目の前に直立させて、厳しい言葉を投げかけた。

「野村監督に叩き込まれたのは、状況に応じて常にチームのプラスになる打撃をしろということでした。一塁にランナーがいれば進塁打を打つ、相手が後ろに守っていたらセーフティバントをする。そのためにもまずはバットに当てることを考えた。ホームランバッターは三振とホームランが紙一重でいいかもしないけど、僕のような打者は三振が多いと作戦を立てにくい。そこはずっと意識していました」(宮本)

 2000本安打にいたる道程には、ひとつの、そして大きな転機があった。

「通算300本ぐらいのときに、中西太さんと出会った。それがなければ、2000本になんて到底届かなかったと思います」

 中西太氏は、若松勉氏が野村氏の後を継いで監督に就任した99年、臨時コーチとしてキャンプに参加して宮本ら若手の指導に当たった。中西氏が当時を振り返る。

「すでに守備は野球界で食べていけるだけの力があった。もう一段階上の選手になるために、打撃でも自分のものを作り上げようということで、私の打撃理論を学ぼうとしたんでしょう。ピッチャーズプレートの4メートル前から投げて、外のボールを引きつけてしっかり右方向へ打ち返す練習を繰り返しました。速いボールだろうが、遅いボールだろうが、左足を軸足である右足に寄せながらタイミングをとるわけですが、宮本君はインコースにボールが来たら打球が詰まることが多く、力負けしていた。外のボールを引きつけて打つ意識でボールを待ちながら、インコースのボールが来たら膝を開かず、腰をひねって対処する打法をひたすらコツコツ練習したんです」

 中西氏の打撃理論にヒントを得た宮本はそのシーズン2番に定着し、00年には初めて打率3割に到達した。

「(同時期に指導した)稲葉篤紀くんも岩村明憲くんもそうだけど、非力な日本人は広角に打つことができなければヒットを量産することができないし、ホームランも打てないというのが私の持論。広角に打つためにはコースを見極める素早い判断力と、下半身から手首まで力を連動させていくことが大事になってくる」

 宮本は今も中西氏に絶大な信頼を寄せており、シーズン中でもメールでアドバイスをもとめるという。

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