【プロ野球】新垣渚、涙の復活。
剛球との決別でつかんだ1273日ぶりの勝利

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

1273日ぶりに勝利を挙げた新垣渚1273日ぶりに勝利を挙げた新垣渚 1273日ぶりの勝利――温かな大歓声が全身を包む。忘れかけていた武者震いするこの感覚。かつてエースと呼ばれた男、福岡ソフトバンクホークスの新垣渚がついに帰ってきた。

 4月1日、本拠地・ヤフードームでのオリックス戦。一軍のマウンド自体も3年ぶりとなる新垣だったが、開幕ローテーションの座をつかみ取り、見事その期待に応えてみせた。初回の先頭打者にヒットを許したが、その後は22打者連続無安打に抑える快投で8回までゼロ行進。9回、2007年9月以来の完封こそ「あと1人」で逃したが、1失点で完投勝利。2008年10月6日以来となる復活白星を飾ったのである。

 新垣はアマチュア時代からスター街道を歩んできた。最大の魅力はスピードだった。沖縄水産高のエースとして出場した1998年夏の甲子園では、当時最速の151キロを記録した。1回戦で敗れはしたが、同大会優勝投手の松坂大輔にも劣らない高い評価を得た。九州共立大に進むとスピードは156キロまで達し、「日本人で最も160キロに近い男」と称されダイエーホークス(当時)に入団。1年目からローテーションに定着し、2年目の2004年にはシーズン最多奪三振のタイトルを獲得。その年から3年連続で2ケタ勝利もマークした。

 順風満帆のプロ野球人生だった。だが、2007年を機にそれは暗転する。突然、武器だったストレートとスライダーを操れなくなってしまったのだ。その結果がプロ野球記録となるシーズン25暴投。同時に2ケタ勝利も途絶えると、迷いから投球フォームも見失った。徐々に勝ち星から遠ざかり、ついに肩への負担が限界に達した。

「3年前の誕生日(09年5月9日)に先発してKOをくらって......。その後、右肩を痛めました。まさかこんなに投げられない日が来るとは思わなかった」

 新垣を欠いたソフトバンクだが、2010年にリーグ優勝。そして昨季はぶっちぎりの強さでリーグ連覇を果たし、8年ぶりの日本一にも輝いた。その中心には同級生投手の杉内俊哉と和田毅がいた。「チームは勝ったけど、正直悔しかった」というのが本音だった。

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