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【プロ野球】「負けない投手」――野村祐輔の持つ『ダマし』のテクニック (3ページ目)

  • 吉原正人●写真 photo by Yoshihara Masato

「もう1球、チェンジいきます」

 何球か続けたあと、彼がそういう言い方をした。その「チェンジアップ」が真っすぐに来て、垂直に落ちた。ホームベースの上にミットをかぶせるようにして、やっと止めたそのボールは、それまでのチェンジアップとは明らかに違うボール。フォークはどこへいっても捕るのに苦労するので、直感で「フォーク?」と思った。

 あとで訊いたら、やはりそうだった。この時は、最後の「春」と「秋」が残っていたので、フォークの存在は「ナイショ」ということにした。引っ込めておけば、引っ込めておけた「隠し玉」を、あえてちらつかせてくれたことが心から嬉しかった。感謝の気持ちは「ナイショの約束」になった。

 4年生の2シーズンで11勝。秋にはリーグ戦優勝に、明治神宮大会優勝。「日本一」の置き土産を作って、有終の美を飾った。

 そして念願のプロ入り。投手としての土台を作った広島でそのスタートを切る。

 環境がいい。年齢でひとつ上の前田健太が投手陣の柱に、学年でひとつ上、早稲田で投げていた福井優也がそれに続き、広陵高(広島)でひとつ後輩だった中田廉も成長株として控える。いい緊張感を保てる「仲間たち」と見ている。

「自分、全部でナンバーワンの投手になりたいんです」

 野村のこの言葉の意味は重い。ただ投げる以外の仕事にも責務の大きさを実感していればこその「宣言」だ。

 リーグ戦最多勝の「6」をあげた昨年の秋、防御率は2.91。野村が投げ続けてきた8シーズンで最悪となった。辛抱できる投手。走者を背負いながら粘りの投球ができる投手。いろいろに表現される野村の投球のキモは、やはり「負けない投手」。そこに帰結するのだ。プロに入っても、「責任を背負いながらも負けない」。野村にはそんなピッチャーになってほしいと切に願う。

著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年宮城県生まれ。早大学院から早稲田大へと進み、野球部に在籍。ポジションは捕手。また大学3年から母校・早大学院の監督を務めた。大学卒業後は会社務めの傍ら、野球観戦に没頭。その後、『野球小僧』(白夜書房)の人気企画「流しのブルペンキャッチャー」として、ドラフト候補たちの球を受け、体験談を綴っている。

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