【プロ野球】阪神・一二三慎太、2年目の打者転向に迷いなし!

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by Nikkan sports

右肩痛により投手を断念した一二三慎太は外野手として再スタートを切ることになった右肩痛により投手を断念した一二三慎太は外野手として再スタートを切ることになった 2012年のキャンプインを前に、阪神の投手・一二三慎太は外野手転向を決断した。

「ピッチャーは無理だけど、野手としてならリハビリしながらやっていけると思います。去年は何もできなかった。今年1年は野球に没頭したい」

 東海大相模からドラフト2位で入団した一二三は、1年目の昨シーズン、春季キャンプ中に右肩痛を発症していきなりプロ野球人生の出端をくじかれた。手術を回避し、サイドスローからスリークォーターに腕の位置を高くして生き残りへの道を探っていたものの、秋口のMRI検査で再び異常が発覚。球団より投球禁止が言い渡され、実戦登板の経験がないままこの決断に至った。

 右肩痛の詳細は明らかにされていないが、わずか1年で断念するということは、それだけ深刻な状態なのだろう。

 東海大相模時代の一二三といえば、とりわけ2年秋の神宮大会までの評価が高かった。150キロ近いストレートに、鋭く曲がるスライダーを自在に操り、高校野球のレベルではひとつ抜けた投手だった。

 ところが優勝候補として臨んだ10年春のセンバツで初戦敗退。5月の練習試合で相手右打者の頭部にデッドボールを与えると、その後は投げるボールが右方向へ抜けてしまう、いわゆるイップスのような状態に陥(おちい)った。それでもサイドスローに転向してからは制球が安定するようになり、母校を33年ぶりの夏の甲子園に導き、準優勝投手に輝いた。東海大相模の門馬敬治監督は、自身を責めるように当時を振り返る。

「一二三の野球人生には、常にケガがついて回った。ケガがあったからこそ、彼は中学時代からほとんど投手一本で過ごしてきました。高校時代に、もっと違う使い方、たとえば投手を休ませて内野や外野を守らせるような経験を積ませてあげられていたら、別な形で彼の才能が花開いたかもしれない。それに上から横に投げ方を変えたことが、本人にとってはストレスになっていたのかもしれない。指導者としては長く野球を続けてもらいたいという想いが根底にあるわけですが、プロに入ってケガをしてしまったことは私自身にも悔いがあります」

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