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【プロ野球】山﨑武司「一度でいいから日本シリーズの舞台に立ってみたい」 (2ページ目)

  • 石塚隆●構成 text by Ishizuka Takashi
  • 喜安●写真 photo by Kiyasu

1963年8月27日、兵庫県生まれ。報徳学園では3年夏の甲子園で4番・投手として全国制覇を達成。81年ドラフトで近鉄から1位指名を受けて入団。プロ入り後、打者に転向し1963年8月27日、兵庫県生まれ。報徳学園では3年夏の甲子園で4番・投手として全国制覇を達成。81年ドラフトで近鉄から1位指名を受けて入団。プロ入り後、打者に転向し

金村 世間では絶対に合わないと思われていたふたりやから、正直驚いたわ。

山﨑 僕自身、野村さんが就任したときも、「ああこの人に葬られるんだ」って思ってましたからね(笑)。けど野村さんは、「お前は俺に似てるところがある」とすごく可愛がってくれました。基本的に選手たちは野村さんに対して、ちょっと距離を置いてしまうところがあるんですけど、僕は積極的に行って受け入れてもらった感じですね。野球論とかミーティングとか最初はちょっと面倒臭かったけど、だんだんと自分の中で理解できると野球が楽しくなって、プレイしているとドキドキワクワクする。最後はCSにも連れて行ってくれましたし、僕だけじゃなくみんな言ってますよ。「あのときは楽しかったなあ」って。

金村 オレが聞いて意外だったのは、野村さんの采配には情があるらしいな。

山﨑 コーチがピッチャーを代えようとすると、「ここで代えてアイツ腐らへんか」って心配したり、ベテランの磯部(公一)に対して代打を出そうとすると、「アイツもプライドがあるやろ」って止めるんですからね。結局代打を出されてベンチに戻ってきた磯部に、「悪かったな」って肩をポンって叩いていましたね。

金村 それは意外やわ~。

山﨑 ヤクルト時代は、そんなことなかったと聞いてますけどね。

金村 丸くなっていくんやな。星野さんももうちょっと丸くなると思ったんやけど。

山﨑 変わってなかったですね。ピッチャー出身の監督は、打者には厳しいんですよ。三振を嫌がりますからね。

金村 そうやな。オレも西武時代、ゲッツーを取られると、現役時代デッドボールでランナー出して散々ゲッツー取ってきた東尾(修)さんからめちゃくちゃ怒られた。ただ、ピッチャー出身の監督は、ピッチャーに対しては我慢するんや。

山﨑 そうですね。次の高木監督は気は短いんですけど、選手起用に関しては我慢強い方ですよ。

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