小説『アイスリンクの導き』第1話 「リンクへ再び、天命」

『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載開始!

 岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。

 今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。

「氷の導きがあらんことを」

 再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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  第1話 リンクへ再び、天命

 太ももに力を込め、滑走のスピードを上げると、頬に冷たい風を感じた。五感が研ぎ澄まされる。一人ひとりの歓声が判別できてしまうほど、耳が敏感になっている。あり得ない話だが、視界は360度に広がっているようで、背中にまで目が付いたような気分になる。そして氷の匂いが心地よかった。

 ジャンプ7本、すべてを降りていた。しかし、少しも気は抜けない。ステップシークエンス、コレオ、最後のスピンがまだ残っている。

 体力配分はうまくできているが、脳が感じているよりも肉体は消耗し、動かなくなることもある。十分に気を張って、指先まで神経を研ぎ澄ます。全身の筋肉を引き締めた。細胞一つまで思いどおりに動かせるのが理想だ。
 
 会場に流れる曲の旋律と一体となるのを感じると、疲労しているはずの体に力が湧き上がってきた。これがゾーンに入る、領域に入る、という状態の入り口なのだと感じてうれしくなる。自分で感覚をコントロールし、領域に入ったフィギュアスケーターは過去に一人もいない。それは日々を積み重ねてきた者に偶然、与えられる"特別なギフト"だ。
 
 エッジを深く入れ、上半身をかぶせるように倒しても、下半身は安定していた。腕も振れているし、疾走感があった。万能感に包まれる。

 気が付くと、最後のスピンを回っていた。一つ、二つ、三つ、回転に体の軸はぶれない。しっかりレベルは取れているはずだ。
 
〈なんて幸せなんだろう〉

 残り2、3秒のはずだが、この悦楽を永遠に感じていたい、と思う。多くのスケーターが目指す、ノーミスの域を超えていた。自分の体内にあるスケートへの動力をほとんど無意識に出せたようで、その時間に少しでも浸りたかった。フィニッシュポーズ、高々と拳を突き出そうか、腕を振り下ろし、満面の笑みを浮かべてみようか。演技が終わっていないのに余裕が生まれ、笑みがこぼれそうになる。
 
「氷の導きがあらんことを」

 子どもの頃、映画のセリフをもじって使うようになった言葉が頭によぎる。
 
 その境地に辿り着くためには、日ごろからの心がけが必要で"神頼み"のようなものだったかもしれない。神様に見られても、恥ずかしくないだけの鍛錬は重ねてきた。おかげで、導かれているようだった。
 
 フィギュアスケートというスポーツは、練習から一つひとつの技を丁寧に積み上げないと、結局は本番で現実を思い知らされる。練習でほとんどできない技が、本番でできることは少ない。たとえできたとしても、釈然としない気持ちが残って、その後に報いを受けることになる。下手に感覚だけで成功してしまうと、ゆるみが生まれるからだ。
 
 スケートの神様にとって、本番も練習もない。

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